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競輪

レース場
敗戦直後の1946年(昭和21年)、気持ちが暗く沈んでいた日本国民を明るくしようと、第1回国民体育大会が近畿各地で開催される。 その国民体育大会は1948年(昭和23年)10月に第3回が福岡県で開催されることとなったが、莫大な経費が嵩む自転車競技場の建設には県内のどの自治体も及び腰であり、自転車競技の開催が危ぶまれるという事態に陥った。これを回避すべく、小倉市が「人気種目の野球を小倉市で開催する」ということを条件に、抱き合わせする形で自転車競技場の建設に名乗りを挙げたのだった。 その後、自治体の戦後復興費用捻出および自転車産業の発展を目的として自転車競技法が1948年8月に成立し、同年11月20日、国体会場でもあった小倉競輪場において第1回の競輪競走が開催され、ここに競輪が誕生した
バンクと呼ばれるすりばち状のコースを4周〜9周(基本は2,000m、但しGI決勝やKEIRINグランプリではそれ以上)し、通常9人で行われる。ゴール前半周のタイムは計測されているもののタイムトライアルではなく、いかに早くゴールするかがポイントとなる。ただレース毎に、定められた時間以内にゴールしなければならないという「規定時間」(スタートから1周目のゴール地点までのタイムで計測)があり、これをオーバーすると賞金が減額させられる(基本的に半額)。 競技中には時速70kmにもなり自転車は大きな風圧の抵抗を受けることから、選手は2人〜4人で連携(ラインと呼ばれる)して戦う方が有利であり、その場合には、各ラインの先頭の選手が風圧を受ける代わりに、その後ろについた選手は、他のラインに追い抜かせないように抵抗するという役割分担を行う。そのため、競技は当然個人戦であるが、団体競技的な側面も併せ持ち、推理に複雑さと面白さを加えている。 先頭の選手が残り1周半を通過してから、ゴールラインを通過して最後の1周となるまで、半鐘が打ち鳴らされる。これを「ジャンが鳴る」という。ここから誘導員が抜けてラストスパートがかかり、ゴールまで息詰まるデッドヒートが展開される。各車が込み合うような展開の場合には、時として接触・落車事故が発生することがある。
光速
疾走